1. ホーム
  2. 活動ブログ

活動ブログ

いろいろな意味でいろんなことを考えさせられた週末だった (2017/05/14)

そのしめくくりが、これ!

 

NNNドキュメント:お笑い芸人 vs 原発事故 〜おしどりマコ・ケン 2017 02 12


東北紀行2019 忘備録 (2017/05/07)

2012年より毎年、5月の連休は、家族と東北の被災地を巡る旅に出かけることにしている。

 

今回は、5月3日~5日の3日間で、仙台市内→名取市(閖上地区)→東松島市(宮戸島 ※3年前のぶろっさむ旅行以来の再訪)→東松島市(小野地区)→石巻市(牡鹿半島~金華山)→女川町と巡った。

 

 

旅の理由であったり目的についてはいくつかあるのだが、大きなものとしては、3つ。

 

一つは、その他すべてのことに繋がってくるのだが「先の震災で被災した東北という地域のことを関東圏に暮らす人間として『忘れない』ため」。もう少し言うと、「ある時間を、その場所に身を置くことで、『そこで過去に起きたこと、今まさに起きている変化、これから向かってゆくであろう未来について考える』ための物理的な時間を確保するため」。

 

一つは、「関東で稼いだなけなしのお金を、どうせならば東北の地で直接消費することで、少しで現地も経済の循環・活性化に貢献したい」というシンプルな動機に基づくもの。

 

そしてもう一つは、「被災した地域が再び立ち上がり<再生>してゆく姿を、定期的に現地に足を運んで見届けることで、これから先の時代を生き延びてゆくためのスピリットや考え方を学び、千葉の日常生活へと持ち帰り、実践に移してゆくため」である。

 

大げさに聞こえるかもしれないけれど、私は割と本気でそういうことを考えている。

 

 

 

というのも、関東圏、特に私(たち)の暮らす千葉県東葛エリアという、現在の日本国の経済的な中心である「東京」に近い「都市部」で生活していることで、私たちが見えなくなってしまっているもの、考えないで済ませてしまっていること、曖昧なままで放置してしまっているものが少なからずあると、常々考えているから。

 

それは、日常生活の中で「生き延びる」=「いのちを繋ぐ」ということに対する危機感であったり、あるいは自分たちが「生き延びる」ためのベースであるはずの「土地」や「自然」を守りながらそれらと付き合い続けて生きてゆくという覚悟や緊張感であったり、本来は、生命体としての人類が長い歴史の中で当たり前に養ってきた感覚や「生きかた」にかかわることなのだと思う。

 

そして、それらを見失ってしまっているのは、「都市部」に暮らす私たちの中の少なからぬ人間たちが、自分や自分の家族、祖先たちが代々そこに暮らし、守り抜いてきた「土地」や「自然」から離れ、自らの生活基盤を日本の富の多くが集中する中央=東京の近く移すという<選択>をしてきたことと無関係ではないのだろうとも思う。

 

 

他でもない私にしたって、そうだ。

 

自分が生まれ・育った地方都市(…というほど東京からは離れていないものの、自分や地元の人間の意識の中では東京圏からは外れています)の中で10代の頃に感じていた鬱屈した感情を語り出すとキリがないので止めておくけれど、結果として、自分が故郷の「土地」や「自然」から離れ「都市部」で生きるという<選択>を少なくとも20代の前半においてはしたという事実はどうしたって変えようがないし、また、その当時の自分の<選択>が誤っていたと考えている訳でもない。(というよりも、<選択>というものは常に誤りうる可能性を秘めているのだから、私たちはその結果を、後の<未来>になってから振り返り、そのまま受け入れるということしかできない。その時々の<選択>それ自体が正しかったか・間違っていたかと考えることには意味がなく、後からそれを振り返った際に、そこで「何に気付くか?」「どのような学びを得るか?」ということの方がよほど重要なことなのだと思う。)

 

しかしそこには、「根無し草的存在」である己の実存についての不安が、どこにいても・何をしていても、付いて回る。

 

自分の場合、20代の頃に国内外のあちらこちらを旅して回ったあげく、縁あって大学を出て以来ずっと暮らしていた千葉県に腰を落ち着け、そこで生活の基盤を築き、今も仕事をさせて貰っている訳だが、仕事柄、「地域」という言葉は、それこそ日常的に口にしているし、自分たちの実践において外せないキーワードとして強く意識もしている。

 

けれど、本当の意味で「地域」というものを自分(たち)のベース、活動のフィールドとして把握し、その特性を理解し、ありうべき未来の姿を考え、その実現に向けて動くことが出来ているのだろうか?それこそ、「地域共同体」の一員として、そこに暮らす住人たちとかかわり切れているのだろうか?と真剣に考え始めると、自分の中で、何かぐらつくものがあることもまた、事実だったりする。

 

「土地」や「自然」から離れても(忘れても)、それなりの生活を送ってゆけるほどに、今のところ・私たちは経済的なゆとりがある。

(※昨今の「都市部」で広がる貧困の連鎖にかかわる問題は、ここではひとまず脇に置きます。)

しかし、それゆえに私たちには、人が「生きる」ということがどういうことなのか分からなくなってしまっているのではないか?

そんな気がしてならない。

 

 

すこし飛躍した表現になるけれど、そのことについて、もっと真剣になって考え、本気で実践に移してゆかないかぎり、インクルーシブな(包括的な)社会の実現なんてものは、絵に描いた餅に過ぎないのじゃないか?とも思ったりもする。

 

なんかみんな、安易に「地域」という言葉を使いすぎじゃあないのかな・・・?とか。

 

もちろん、「都市部」における「地域」の在り方というのは、いわゆる「地方」におけるそれとは異なる部分があって然るべきであると思うし、もっと言えば、「地方」と呼ばれる場所だって、実は、個々の「地域」における地理・歴史的な背景や特徴・課題などは、様々である。

 

(余談だが、旅人としての目線でもって様々な被災地を移動していると、そういうことにも気付かされる。当たり前のことだが「地方」とか「被災地」とかいう場所が総体として存在している訳ではなく、あくまでも、それぞれの地域もそこに住む人々の暮らしも固有の地理的条件や歴史的な背景の上で、個別的・具体的に存在しているのだ。)

 

 

いずれにしても、私が、東北に足を運ぶたびに痛切に感じるのは、たとえばそんなことだったりするし、そこに行けば、「都市部」に暮らす自分たちの周辺にはまだ見られないような、「土地」や「自然」の<再生>へ向けた人々の実践の息遣いに触れることができる、というのが、わざわざそこへ何度も足を運ぼうと思う動機になっているのだろう。自分たちも被災しながら、事業所のある地域の<再生>に向けた革新的な実践を続けている同業者(事業所)の姿を目にして刺激を貰ったりもするし。

 

だから、私にとって、足を運ぶ場所は、もしかしたら東北でなくても良いのかもしれない。

 

今の自分(たち)の在り方とか、自分(たち)の実践に対して「ちょっと待って、本当にそれでいいの?」と思われてくれるような場所、「向かうべきは、こっちなんじゃないの?」と気付かせてくれるような経験。そういうものを、たぶん私は求めているんだろう。

 

 

でも、何故、東北なのか?と問われれば、それは紛れもなく、そこに「海が生活の一部でもあるような暮らし」があるからなのだと思う。

 

「あの日」あれほど猛り狂った海が、初夏の穏やかな日差しと心地よい風の中、青々とした水を豊かに湛え、海岸線や港に静かに波を打ち寄せている光景を目にしていると、まるで「あの日」の出来事がどこか遠い昔の別の地域での出来事だったのではないかという錯覚に陥りそうになるのと同時に、今・ここにいる自分や人々がこの場所で暮らすずっと前から海(も陸も)はそこにあったし、人々は、ずっとそのような海や自然とどうにか折り合いを付けながら、その「土地」での暮らし、歴史を紡いてきたのだろうということに想いがおよび、何とも言えない感覚に包まれ、思わず涙が出そうになる。

 

それが、私が地元の漁港や海岸、海へと注ぐ河口から徒歩5分ほどの場所で生まれ育ったためなのかどうかは分からないけれど、その時、東北の海が眺めながら私が同時に頭に描いているのは、自分の生まれ故郷の、同じ太平洋の海であったりする訳だ。

 

わざわざ出かけて行った先で、私が見て、考えているのは、自分が一度は捨てたはずの故郷の暮らし、故郷の未来の姿なのかもしれない。

 

本当は、今回の旅で訪れた様々な土地の<魅力>や<美しさ>について書こうと思っていたのだけれど(特に、牡鹿半島~金華山で見た景色、出会った動植物の美しさといったら、それはもう言葉に尽くせぬすばらしいものでした)、思わぬ方向へ話が展開してしまった。結局のところ、どこへ旅をしていても「自分」からは逃れられない、ということなのでしょうね。

 

旅で得た知見や経験を日常へと持ち帰り、日々の実践を通じて「自分」を乗り越えてゆく、それしかないのだと思っています。

 

KIMG0626

東北の芽生え

KIMG0633

KIMG0596

KIMG0449

KIMG0548

KIMG0524

KIMG0643

KIMG0648

KIMG0559


極私的マジックワード・ベストナイン(熱き波編) (2017/04/21)

1(右) 何も持たなきゃ 失うものもないさ

 

2(中) ロックンロールはこう云ったんだ お前のコンプレックスは力なんだぜ

 

3(一) どこかへたどり着けたなら それがすべてで いいじゃないか

 

4(三) 物語を語り続けろ 運命を貫け 決してずる賢く生きるんじゃない

 

5(二) 年老いてゆくことだけが ただ一つの確かなこと

 

6(左) 起き抜けに君が 涙を流すことはない /それよりも 故郷の味噌汁を きちんと飲んだ方がいい

 

7(遊) きっと このまちのカラスのように 自由だ

 

8(捕) 愛と挫折と忍耐

 

9(指) 愛と希望と忍耐

 

———————————

(投) ストッキングなんて 伝線しててもいい


ぼくらはみんな、生きている…んだなぁ (2017/02/05)

「手のひらを太陽に」

やなせたかし作詞・いずみたく作曲

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

*****

 

いい歌だなぁ。

 

ぼくの生命観は、子供の頃耳にしたこの歌に、ほぼ影響されていると言っていい。

 

いのちが、ぼくらの中を生きている。

 

ぼくらは、そのことを感じる。

 

いろんな経験を通じて、感じる。表現する。

 

ぼくらには、生きているってどういうことなのかが、分かる。

 

おんなじことが分かるから、ぼくらは友だちになれる。

 

いのちに、序列は、ない。

 

いのちは、等価だ。


青い小鳥たち(とその仲間たち)に捧ぐ (2016/10/29)

世界は不公平で

そして かなりに残酷だ

 

勝者と敗者

持てる者と持たざる者

強いものと弱い者 etc.

 

僕たちは、どちら側にいるんだろうか?

あるいは

僕たちは、どちらの味方でいるべきなんだろうか?

 

僕は 夢想する

強いものも弱い者もいない世界を

持てる者も持たざる者もいない世界を

勝者も敗者もない世界を

 

でも それはただの夢でしかなくて

現実には 他ならぬ僕たち自身が

心ならずも いつの間にか

支配/被支配のパワーゲームに

巻き込まれてしまう

 

分かっているのに何もしないことは

たぶん 罪だ

 

僕たちは、どちらの味方でいるべきなんだろうか?

 

 

青い小鳥たち(とその仲間たち)

愛しき者たち

僕の魂の分身たち

 

肉体が弱い人たちがいる

思考が弱い人たちがいる

精神が弱い人たちがいる

 

僕はやっせぽっちで

世間知らずの夢見がちで

感じやすい心を持っていたから

子供の頃はよくバカにされた

 

それが悲しくって

悔しくって

そして

とても切なかったから

ある時「強くなろう」と決めた

 

いつの頃だったかな?

もうあんまり覚えていないや

 

僕は体を鍛えて

いろんな本を読んで 旅に出て

そして

自分の心をコントロールする訓練をした

Rock’n Roll

まだ この世界を許せていないから

今だに続けている

 

そんな生活をずっと続けていると

ときどき分からなくなってしまう

 

自分が「強い」のか「弱い」のかが

あるいは

いつまでも「弱い」まんまでいる人たちや

「強者」を装わずにはいられない人たちがいるってことが

 

最近僕が気付いたのは

そのことだった

何故なら

僕も未だに「弱い」人間だったから

 

青い小鳥たち(とその仲間たち)

愛しき者たち

僕の魂の分身たち

 

彼や彼女らを護りたい

そして

自由に羽ばたく姿が

見たい

 

そのために 僕たちは

「強者」を装った人たちに負けない

ホンモノの「強さ」を

身につけようぜ


新事業所「ブルーバード」始動! (2016/10/01)

Free as a “blue” bird.

 

重い空気を切り裂いて、蒼い意思よ、飛んでゆけ!!!

 

なんつって。

 

・・・というわけで、10月1日より始動です。

 

よろしくお願いしま~す。

 

(詳しくは、「1to1の事業紹介」のページで見てね♪)


つながる資料 (2016/03/26)

つながる福祉塾 in ぶろっさむ 無事終了!

残念ながら、石井さんはインフルエンザでご欠席。

でも、そのぶん緒方さんの中身の濃い話がたくさん聞けました。

懇親会は、いきつけのソウル@ゴールドショップへ!!

楽しかった~

 

第13回千葉つながる福祉塾 案内チラシ

 

資料1 極私的な「世界」と「日本」の歴史年表

資料2 戦後日本の障がい者福祉と「作業所」の歴史まとめ

資料3 生きかた・働きかたとしての<地域福祉>


2016キックオフ! (2016/01/01)

NPO法人1to1概要H28.1月


近況報告など (2015/12/10)

すっかりご無沙汰しております。武井です。

もう今年も残すところあとわずか、ですねぇ・・・(汗)

 

私ごとですが、先日、今年の4月~12月の休日を使って継続して受講していた
中小企業家同友会の「経営指針成文化セミナー」を、無事に修了することができました。

 

今年は、私が障がい者福祉の仕事に携わるようになって丸10年、

「経営者」になって丸3年、一つの節目の年であると思っていましたし、

来年40歳(!)を迎えるにあたり、自分の中で「仕事」や「福祉」、

そして「経営」に関する考えを、一度きちんと整理しておいた方が良いだろう

と考えていたこと、そして何より、「NPO法人1to1という組織を、誰もが

活き活きと働くことのでき、仕事を通じて人として成長してゆくことのできる、

魅力的な職場環境にしてゆきたい」、そういう想いからの受講でした。

 

この間、これまでの自分の人生(特に「社会人」になってからの生活)や、障がい者福祉の

仕事に携わってから気付いたこと、自分たちのフィールドである船橋市・習志野市という

地域の中で、これから自分たちに求められるいること・そのために明日から取り組むべきことなど・・・

 

様々なことを、地域をベースに事業を営んでいる経営者の諸先輩方や、私と同じように

「良い会社を作りたい」という想いでセミナーに参加した同期たちとのディス カッションを通じて、

考え続けてきました。

 

一つのことを、こんなに真剣に考え続けたのは、いつ以来だろう・・・?

得難い時間と仲間たちに出会えたことに、心から感謝しています。

 

セミナーを通じて学んだことを、これから一つ一つ「実践」へと移してゆきたいと思っています。

(「情報発信」のためにも、ホームページもちゃんと更新しないとね・・・)

 

どうぞこれからも、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。m(_ _)m

 


わかりあえないことから (2015/02/15)

という本を読みました。

 

劇作家・演出家の平田オリザさんの著作で、

2012年に出版されたものです。

 

副題に「コミュニケーション能力とは何か」とあり、

「現代口語演劇理論」の提唱者として知られている氏が

<コミュ二ケーション>というものをどのように考えているのか

ということに興味を持って読み進めました。

 

内容はもう少し根源的・哲学的なものを勝手に想像していたのですが、

もう少しとっつき易く・読みやすいもので(新書なのでよく考えたら当然)、

近代化・国際化が進んだ現代日本の教育現場や職場等における

「コミュニケーション」や「ことば」をめぐる諸問題から議論をスタートさせ、

「会話」ではなく「対話」を重視した合意形成や、「コンテクスト」(文脈。

「その人がどんなつもりでその言葉を使っているか」の全体像)を理解する

能力の醸成、「シンパシー」(同情)から「エンパシー」(共感)をベース

とした他者理解の試み、(「協調性」ではなく)「社交性」を高めてゆくことの

必要性等々を説くにいたる非常に読み応えのあるもので、示唆に富む論考

が随所にあり、非常に刺激を受けました。

 

自らの仕事にからめて、重要だと感じた部分を1ヵ所だけ引用しておきます。

 

*****

東日本大震災以降、リーダーの資格ということが多く問われてきた。大学でもリーダー

シップ教育が、声高に叫ばれている。

通常、そういった場面で言われるリーダーシップとは、人を説得できる、人びとを力強

く引っ張ってゆく能力を指す。しかし、私は、これからの時代に必要なもう一つのリーダ

ーシップは、こういった弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている。

社会的弱者は、何らかの理由で、理路整然と気持ちを伝えることができないケースが多

い。いや、理路整然と伝えられない立場にあるなら、その人は、たいていの場合、もはや社

会的弱者ではない。

社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。私は、自分が担当する学生たちには、論理的

に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人

間になってもらいたいと願っている。

*****

 

 

 

 

 

 


2019年4月
« 3月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

NPO法人 1to1 ワントゥワン

千葉県船橋市前原東3-36-1
» アクセスマップ
営業時間: 9:00~18:00(月~金)

お問い合わせは TEL 047-411-6816

メールでのお問い合わせ

  • リンク集
  • ぐらすグループ