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G・スターダスト

徒然なるままに・・・ (2020/07/26)

「コ」になってから初めての投稿。

あ、「コ」ってのは、私(武井)が敬愛するミュージシャンの山口さんが日記の中でアレについて触れる時に書いていた言葉ね。

正直、私もアレのことは触れるだけで忌々しい気がするから、その表現を拝借しちゃいます。

別にウィルスに罪はないんですけどね(たぶん)。

愚かなのは、いつだって私たち人間だから。

 

実は、2月の「ワンパク」以降(というか実際には2019年の春以降、かな?)バーンアウに近い状態でなかなか気持ちが上がってこないというか、積極的に<外>へ向けて心をオープンにしようと思えないような状態が続いていました。

まぁ2016年8月に土地を買って2017年11月のグループホーム「ありえす」の開所から、2019年4月に生活介護事業所「ささえ」を開設しそれに合わせて組織の改編を行っている間かなりのオーバーワークを自分に課してきたし、その間に40才代という自分にとってはなんだか難しいと思える年齢に突入しちゃったりとか、その間の経験を通じて自分の感覚が研ぎ澄まされていく一方で、どう対処したものか悩ましい色んなことが見えてくるようになっちゃったりとかして、自分で言うのも何ですが、心も体も、ちょっとしたお疲れモードになっていたのです、きっと。

(それで、今年の3月には立ち上がれないほどの激痛に着まわれ、人生で初めて救急車で病院へ運ばれたりもしました。

まぁただのぎっくり腰だったのですが・・・)

 

そんな訳で、最近は休日はステイ・ホームして軽めのワークアウトに励んでいたりします。

(平日は、普通に出勤して仕事。「コ」なんかに負けずにしっかり働いていますから、うちの事業所)。

・・・とはいえ、難しい時代になったなぁ、とつくづく思いますね。

もしかしたらもうずっと前からそうだったのかもしれないけれど、今や機械やロボット、AI(人工知能)などを用いた様々な分野における自動化の技術、そしてICT(情報通信技術)などのテクノロジーは深く我々の「暮らし」や「文化」に入り込んでいて、もはやそれが無い生活は考えられなくなってきています。

特に、「様々な機能を1台の端末にまとめて、かつ持ち運び可能なサイズに収め」さらに「直感的(視覚的)に分かりやすいUI(ユーザインターフェイス)によって、ほぼ誰でも使用できるようにした」スマートフォンの普及は(余談ですが、決して安くはない本体代金を分割払いで月々の通話・通信料と一緒に払えるようにするっていうあの仕組みはよくできているなーと感心します。)、私たちの<コミュニケーション><人間関係>のあり方を大きく変えました。

それは<革命>といっても良いくらいのインパクトを私たちの社会に与えたといって良いでしょう。

 

確かに、便利。

それに、効率的。

そして、生産的(たぶん)。

でも、何かがひっかかるんですよね・・・

 

おっと、スマートフォンそのものにも罪はないので、この話はこれ以上掘り下げるのはやめておきます。

ただ、私がここで問題にしたいと思っているのは、テクノロジーと「労働」の関係についてなんですね。

それは、私の周りにいる就労継続支援事業所で働いている知的障がいのある人たちにとっての「労働」の価値というものを考えた際にぶつかる問題なんです。

あんまり意識されないことだけれど、テクノロジーには、その背後に「思想」があります。

そして、その「思想」において価値あるものとされているのは、上にも書いたように、便利であり・効率的であること。

 

それらの価値は、明らかに知的障がいのある人たちの「労働」が私たちにもたらしてくれる価値とは対立するものである、と私は考えます。

それが良いことなのか悪いことなのかは別として、これまで彼らが体現していた(と思われた)価値って、おそらく、「愚直に、黙々と」とか「不器用だけれど、精一杯」とか「手間暇惜しまず、丁寧に」とか・・・そういうことでしたからね。

(余談ですが、これらは私自身がこれまでの人生で大切にしてきた価値観でもあります。そういったものを「古い」ものとして切り捨てるような空気が、ここ何年かの間に急に私たちの社会を覆うようになったように気がするんですよね。)

ちょっと前に「寿司職人が何年も修行するのはバカ」とホ●エモンが言ったとかニュースになっていたけれど、これだけテクノロジーが私たちの生活に入り込んでくると、そういった短絡的な考え方が出てくる(…というかそういう発言をしても良い空気が社会に生まれる)というか。師弟関係のような濃密な人間関係の中で過ごす時間を通じて人から人へと伝播されてきたものは、技術(テクニック)だけじゃあないだろうに。(もっとも、そいうものを「面倒くさい」「ウザったい」と思う気持ちも分からなくはない。でも、人間関係ってそういうものだよね。)

 

こういう書き方をすると嫌な気持ちになる人もいるかもしれないけれど、私たちはあるテクノロジーを日々用いることによって、その背後にある「思想」に知らず知らずのうちに感染していくんですよね。

私が「コ」なんかよりもよっぽどやっかいだなぁと思っているのは、そのことで、

「働き方改革」も「リモートワーク」も大いに結構なことではあると思うけれど(個人的には違和感アリアリだけど。私は「職」と「住」をなるべく近づけたいタイプの人なので)、結果的に「コ」がテクノロジーのよりいっそうの普及を私たちに促している側面はある訳で、私たちはその現状を認めつつも、その「思想」には<抵抗>していかなきゃいけないんじゃないかと思う今日この頃です。

 

何かやり方があるはずだ、きっと!

 

 

 

 

 

 


「ワンパク」なご報告 (2020/03/13)

ありがとう、そしてこれからもよろしくね!

「ワンパク」なご報告

 

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「ワンパク2020」開催! (2020/02/18)

10年間の<感謝>と未来への<希望>を込めて!

 

これは「『ワンパク』なパンフの表紙。

君は今日<歴史>を目撃する!!

「ワンパク」なパンフ(表紙)


なう、準備中!(1to1船橋くらしサポートセンターささえ) (2018/10/30)

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という訳で、所関係者にはご心配をおかけしている本件ですが、ついにあと半年後に迫って参りました!

 

果たして大丈夫か!??

 

はい、がんばりま~す!

(いつだって「すべりこみ、セーフ!」が我らの信条・・・


夏ですね… (2018/07/24)

暑い・・・

暑い・・・・・・

暑い・・・・・・・・・

何度言っても、暑い・・・・・・・

いったどーなってるの!? 地球!!!

 

それはともかくとして、いろいろと苦しかった時期を乗り越え、

当法人の事業の方は、(あいかわらず課題は山積みですが)今年度はここまで比較的順調に動いています。

 

次年度は、とある方々より乞われ、当法人では初となる生活介護事業所を船橋市内にて立ち上げることになったので、

これからは、いよいよそちらの動きが本格化してゆくことになるでしょう。(身が引き締まる想いです。)

 

毎日眩暈がしそうになるくらい忙しいですが、「必要とされている」のはありがたいこと

と、しみじみ思います。

 

 

ところで、新規事業を始めるので、今のうちから求人を出しているのですが、

こんなマイナーでヘンテコな法人でも、何人かのかたが応募してくれます。(ありがたいですね!)

 

ただ、うちは、基本的には履歴書を送ってもらうことにしているのですが、

「おっ!」と思うものに出会うのは、ごくごくまれ。

 

いっしょに働いてくれる大切な仲間を求めるにあたり、一番知りたいのは、やっぱり「志望の動機」の部分なのですが、

そこを掘り下げられていない、文章で表現できていない人たちが、とても多いのが残念です。

 

こういう仕事なので、「人の役に立ちたい」「人に喜んで貰いたい」といったことを

書かれる人たちが多いのですが、正直、それ”だけ”では読み手側の心は動かせません。

 

 

だって、そんなこと、福祉の道を志すなら当然と言えば当然のことだもの・・・

そこが「入り口」でも良いのだけど、「その先」のことをどう考えているのか?を知りたい訳です。

 

知りたいのは、「どうやって」「どのように」人の役に立ちたいのか、喜んでもらいたいのか、

それを、「自分なりの精一杯」で構わないので、どこまで真剣に考えているか、ということ。

 

つまり、「あなたは、何者ですか?」「あなたには、何ができますか?」「どんな可能性がありますか?」

という質問に対する、その人なりの答えを聞きたい訳です。

 

それは、<対人援助>あるいは<支援>という仕事の本質にかかわることだと私は思っているから。

 

 

まず向き合うべきは「自分」という最も身近な他者であり、その「自分」は地域や社会にとってどのような存在なのかを知る。

その上で、「自分」が持っている肉体や精神を含めた資源(リソース)を、「自分」以外の他者や社会に対して、

どのように差し出すのか?考えること。

 

そこに生まれる「関係性」をどう考え、どういった方向に育んでゆくのか?ということ。

 

つまりは、「セルフプロデュース」を試みるということで、これはなかなか難しいことなんですけどね・・・

そういったことは、脳みそから汗を絞りきるようにして必死になって考えないと、なかなか見えてきませんから。

 

でも、人にプロデュースを依頼する前に、まずは自分なりに自分をプロデュースしようとすることは、

どのような仕事をするにしても必要なことなんだと思います。

 

徹底的に「自分」を見つめた上で、その「自分」を他者や社会のために、「どのように」活かすのかを考えること。

それが大事なことで、履歴書を通じて私が見ているのは、そういった部分なんですね。

 

面倒なんだけど、そういうことが自然にできる、あるいはそうせざるを得ない人たちにとっては、

この仕事はいつまでも飽きることのない、とっても「楽しい」仕事なんだと思います。

 

まぁ、そういう人は、奇人・変人の類なのかもしれませんけど・・・(うちは、ウェルカム!です)

 

そのことが分かると、世界は実に豊か、ですよ♪

 

以上、説教くさい(うさんくさい?)おじさんからの小言でした(ごめんなさいm(__)m)

 

 

 

 

 

 


というわけで・・・ (2018/03/28)

「りすたあと」パンフ、つくっちゃいましたよ!

1to1船橋パンフ2018(三つ折り・両面印刷)

 

ホームページも自分で出来る範囲で作り直し中。(HTML、分かんねぇ~)

 

いやはや・・・

 

今年度も残すところあとわずか。

 

「平成」ともあと1年とちょっとでグッバイ。

 

いまから、ここから。

 

行けるところまで、行ってみよう!

 

 

 


2018「りすたあと」宣言! (2018/03/23)

ここで唐突に、

 

スメルズ(「するめ」ではない)・ライク・29スピリット!!!

 

 

こころはいつも

「あの頃」のまま

 

12の季節がめぐり

またもやふり出しに戻る

 

春夏秋冬

万物流転

用意周到

 

“人生は「カツオ節」なのか?”

 

 

悩みと責任と借金は増える一方だけど

 

「余計なもの」がそぎ落とされて

頭がクリアになる

行動はシンプルになる

 

「たましいのかおり」だけが残る

 

 

という訳で、

ボクらは先へと進むことにした

 

「理想」も「涙」も「こだわり」も

すべて(一旦)家に持ち帰り

そっから

「りすたあと」する

 

壊れた扉から

まちの片隅から

荒らされた庭からの

「りすたあと」

 

こんな時代を

こんな社会を

こんなボクらを

超えてゆくための

「りすたあと」

 

共に生きるため

共に夢を見るため

共に世界を愛するための

「りすたあと」

 

OK

用意はいいかい?

回転数を上げていくよ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ありえすな日々 (2017/11/03)

グループホーム「ありえす」、どうにかこうにか11月1日(水)に無事にスタートしました!

 

この間お世話になった設計事務所や建設会社、防災会社の関係者の皆さま、頼りない私の想像力を遥かに超えたすばらしい建物に仕上げていただいたこと、この場を借りてあらためて御礼申し上げます。

 

また、金融機関からの融資や建物の設計、グループホーム事業所としての指定や運営のための準備についてなど、多くの方々より貴重なご助言やご支援を頂戴いたしました。船橋市および近隣地域の福祉ネットワークの中で仕事をさせていただいていることに感謝します。

 

 

グループホームを始めることで障がいのある人たちの「暮らし」に寄り添う、つまりは「生活支援」を法人としての事業に本格的に加えることについては、私自身の中で2つの大きな<きっかけ>というか<理由>がありました。

 

一つは、2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後に起きた様々な出来事。

 

震災そのものがもたらした衝撃も言葉に出来ないほど大きなものでしたが、その後露わになり知ることになった私たちが暮らす国の現状や私自身が経験した近しい人たち(利用者さんやそのご家族)の<病い>や<老い>そして<死>。それらに身近なところで立ち会った経験が、私に一つの認識を、観念としてではなく、実感としてもたらしました。

 

それは、個体(個)としての人間は、大きな自然災害や人災(原発事故や戦争)、あるいは、<病い>や<老い>そして<死>といった自然現象(運命)の前ではなすすべもない「等しく・弱い」存在であるということ。

 

しかし、だからこそ、一人一人の<生>や<命>はいついかなる時も、その最後の時まで(あるいは亡くなったその後でさえも 「記憶」というかたちをとって)輝きを放ち続けているのだということ。

 

そして、個体(個)としてはどうにもこうにも弱い存在である人類が「互いに支え合って生き延びて」ゆくために発明した装置として、<家族>や<共同体(コミュニティ)>といったものが、時代によってそのかたちを変えながらであっても、存在し続けてきたということです。

 

特に、自分たちが<病い>や<老い>によって衰弱ながらも家族である我が子たちを支え続けている保護者の方々の姿に触れたとき(あるお母さんは、病床で薄れゆく意識の中、最後の最後まで我が子たちのことを気にかけながら旅立ってゆきました)、その<想い>は、重いバトンとして自分たちに託されたように感じたのでした。

 

 

もう一つは、自分自身の年齢にかかわること。

 

昨年の夏に40才の誕生日を迎えることになった訳ですが、その1年ほど前から、やはり相応にいろいろなことを感じ、考えるものがありました。

 

「とりあえず、『人生の折り返し地点』まではやってきてしまったかな?」「もう流石に『若者』とも言ってられないよな??」「いい加減『大人』にならなきゃな」「(Just Like) Starting Over」…といったありきたりと言えばありきたりな考えや、自分の「ライフ・ワーク」として今の仕事を考えたとき、「現役」でいる間に自分にはいったいどれだけのことができるのだろうか?といった、自分自身の<死>(というと大げさかもしれませんが、つまりは法人であったりこの世界における我が身の<不在>)というものを、まだまだ遠くの方にであれうっすらと意識しだしたことによる、「時間」というものについての感覚・意識の変化、などです。

 

そこで、ひとまず「自分が今のように目いっぱい働くことができるのが仮に65才までだとしたら、あと25年の間に自分にできることは何だろうか?そのために今のうちから取り組んでおかねばならないことは何だろうか?」といったことを漠然と考え始めた訳です。

 

そして、人の<病い>や<老い><死>、あるいはその隣で輝いている<生>や<命>に触れる<福祉>の仕事を本格的に続けてゆく限り、やはり「生活支援」というものにも正面から向き合ってゆかねばならないと考えたし、またそれが、自分自身あるいは自分たちの法人に期待されているこのなのだろうとも思いました。

 

 

とは言え、そもそもが「生活感」に著しく欠けるワーカホリックで都市の遊牧民のような暮らしを続けてきた私。

 

そこでイメージしたのは「もしも自分が障がいのある仲間たちといっしょに一つ屋根の下でずっといっしょに暮らすことになったとしたら、どんな家だったら『楽しい』かな?『ワクワク』するかな?」というものです。

 

どちらかと言えばインドアイメージが強い私だと思いますが、洞窟があったら探検してみたくなるし、ハンモックがあったら寝てみたくなる。田んぼがあったらはだしで入ってみたくなるし、ザリガニがいたら捕まえてみたくなる、子供っぽい好奇心というか冒険心は持ち合わせています(なにしろ小田原生まれなのでね・・・)。

 

まぁ「ありえす」には洞窟や田んぼはないし、ハンモックも(まだ)無いし、ザリガニも(まだ)いないのですが、私のイメージとしては、キャンプ場にあるコテージとかキャビンハウスをモチーフにしたもので、一応屋根裏というかロフトは遊び心で付けてみました。

 

あと、仲間たちやが望み続ける限りは<地域>での暮らしを継続してゆけるようにと、車椅子のままでも生活できるような間取りや設計になっています。

 

 

さすがに20年以上先の時代状況までは私の頭では予測ができないので、ここ(ありえす)がみんなにとっての「終の棲家」になるのかは、正直なところまだ分かりませんが、大切な仲間たちや職員たちが、同じ空間と時間を共有して、良い思い出をたくさんつくってくれるといいなぁ~と思っています♪

 

グループホーム物件の土地探しから契約、建物の設計・建築、共同生活支援事業所としての指定申請は、業者さんたちのお力も借りながら、ほぼ私一人でやってきましたが、建物内に配置するインテリアや諸々の道具、毎日の食事のための食材や調味料の準備などは、グループホーム事務所としての「Aries」のスタッフたちがみんな行ってくれました。

障がいのある仲間たちといっしょに食事をし、お風呂に入り、そこで眠る、つまり「生活」を共にするのも、一人一人の世話人スタッフたちです。(しばらくは、週に1日くらいは私も入ることになりましたが…)

 

そしてなによりも、グループホームでの「暮らし」をつくりあげてゆくのは、家賃を払って各部屋に入居する一人一人の仲間たちです。

 

これからは、ある程度私の手を離れて、「みんなの家」としての「ありえす」の日々がはじまってゆくことになります。

 

はてさて、どうなることか・・・? とても楽しみです!

 

ところで、

 

君は小宇宙(コスモ)を感じたことがあるか?(しつこい!)

 

 

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今日は雨でCSは中止 (2017/10/16)

そんな本日、ふと思ったこと

 

他者とは、どこまで行っても自己の投影でしかない(そう、世界はメタファーなのだよ♪)

 

(しかし、あくまでも他者は他者でしかないところに、他者の「他者性」がある。なんて書くと難しく聞こえるけれど、つまりは「他人は自分ではない」という当たり前の話。切ないね。だけど・・・というか、だからこそ他者への興味は尽きることがない。という訳で、毎日が「ふしぎ発見」だ!そして、「退屈じゃない人生」ってのはまァそんなに悪いもんじゃない。)

 

えっと、何の話だったっけ・・・?

 

あ、そうだ!

 

だから、おそらく逆もまた然り

 

従って、

 

他者であったり世界に対する<変化>へのあくなき希求は、元をたどれば「自己に対する変化への欲求」にたどり着く

 

ということなのだろう

 

そして、それが何故かと問われたならば、もちろんそこには「生き延びるため」あるいは「より良く生きる」ためには<それ>が必要であるという確信めいたものがあるからだ

 

ということは・・・ですよ

 

「かかわり」の本質には、その人の自己(自分)や他者(他人や世界)に対する<信頼>だったり<希望>がある

 

ということ

 

つまり、

 

<信頼>や<希望>が存在しないところには、<変化>は生じない

 

ということ

 

(なんと!そーいうことだったのですよ、だぶん)

 

 

OK そこまでは分かった

 

分かったのだが、しかし・・・

 

じゃあ、「良い仕事」をするために(「強いチーム」をつくるために)「組織」を変革するにはどうしたら良いのか・・・?

 

そう、「超変革」のプロセスを私は知りたい、今、モーレツに、知りたい

 

そんな今日この頃

 

だけど、私はどちらかと言うと、アニキよりもカケフ派なんですよねぇ ええ…

 

 

 

 

 

 

 

 


作業所とわさびと私 (2017/10/15)

29年9月末に職員たちに配付した資料より一部を抜粋

今、密かに明かされる、1to1の成り立ち、そしてわさびの歴史・・・

 

作業所とわさびと私(H29年10月)short edition

 

 

 

 


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