
G・スターダスト
新事業所「ブルーバード」始動! (2016/10/01)
Free as a “blue” bird.
重い空気を切り裂いて、蒼い意思よ、飛んでゆけ!!!
なんつって。
・・・というわけで、10月1日より始動です。
よろしくお願いしま~す。
(詳しくは、「1to1の事業紹介」のページで見てね♪)
近況報告など (2015/12/10)
すっかりご無沙汰しております。武井です。
もう今年も残すところあとわずか、ですねぇ・・・(汗)
私ごとですが、先日、今年の4月~12月の休日を使って継続して受講していた
中小企業家同友会の「経営指針成文化セミナー」を、無事に修了することができました。
今年は、私が障がい者福祉の仕事に携わるようになって丸10年、
「経営者」になって丸3年、一つの節目の年であると思っていましたし、
来年40歳(!)を迎えるにあたり、自分の中で「仕事」や「福祉」、
そして「経営」に関する考えを、一度きちんと整理しておいた方が良いだろう
と考えていたこと、そして何より、「NPO法人1to1という組織を、誰もが
活き活きと働くことのでき、仕事を通じて人として成長してゆくことのできる、
魅力的な職場環境にしてゆきたい」、そういう想いからの受講でした。
この間、これまでの自分の人生(特に「社会人」になってからの生活)や、障がい者福祉の
仕事に携わってから気付いたこと、自分たちのフィールドである船橋市・習志野市という
地域の中で、これから自分たちに求められるいること・そのために明日から取り組むべきことなど・・・
様々なことを、地域をベースに事業を営んでいる経営者の諸先輩方や、私と同じように
「良い会社を作りたい」という想いでセミナーに参加した同期たちとのディス カッションを通じて、
考え続けてきました。
一つのことを、こんなに真剣に考え続けたのは、いつ以来だろう・・・?
得難い時間と仲間たちに出会えたことに、心から感謝しています。
セミナーを通じて学んだことを、これから一つ一つ「実践」へと移してゆきたいと思っています。
(「情報発信」のためにも、ホームページもちゃんと更新しないとね・・・)
どうぞこれからも、ご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。m(_ _)m
わかりあえないことから (2015/02/15)
という本を読みました。
劇作家・演出家の平田オリザさんの著作で、
2012年に出版されたものです。
副題に「コミュニケーション能力とは何か」とあり、
「現代口語演劇理論」の提唱者として知られている氏が
<コミュ二ケーション>というものをどのように考えているのか
ということに興味を持って読み進めました。
内容はもう少し根源的・哲学的なものを勝手に想像していたのですが、
もう少しとっつき易く・読みやすいもので(新書なのでよく考えたら当然)、
近代化・国際化が進んだ現代日本の教育現場や職場等における
「コミュニケーション」や「ことば」をめぐる諸問題から議論をスタートさせ、
「会話」ではなく「対話」を重視した合意形成や、「コンテクスト」(文脈。
「その人がどんなつもりでその言葉を使っているか」の全体像)を理解する
能力の醸成、「シンパシー」(同情)から「エンパシー」(共感)をベース
とした他者理解の試み、(「協調性」ではなく)「社交性」を高めてゆくことの
必要性等々を説くにいたる非常に読み応えのあるもので、示唆に富む論考
が随所にあり、非常に刺激を受けました。
自らの仕事にからめて、重要だと感じた部分を1ヵ所だけ引用しておきます。
*****
東日本大震災以降、リーダーの資格ということが多く問われてきた。大学でもリーダー
シップ教育が、声高に叫ばれている。
通常、そういった場面で言われるリーダーシップとは、人を説得できる、人びとを力強
く引っ張ってゆく能力を指す。しかし、私は、これからの時代に必要なもう一つのリーダ
ーシップは、こういった弱者のコンテクストを理解する能力だろうと考えている。
社会的弱者は、何らかの理由で、理路整然と気持ちを伝えることができないケースが多
い。いや、理路整然と伝えられない立場にあるなら、その人は、たいていの場合、もはや社
会的弱者ではない。
社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい。私は、自分が担当する学生たちには、論理的
に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人
間になってもらいたいと願っている。
*****
So-Sekiの憂鬱を共有する。 (2014/12/08)
最近考えているのは、こんなことばかり(というのは嘘で、最近は忙しくてこういうことを考える時間が減り、毎日がややルーチン化しているので、ちょっと反省している)。
でも、私はさすがに現代ニッポンという過酷な時代・社会を、多くの仲間たちと共にささやかで同時に愉快に生き延びようとしているいわばlocal strangers の首領だから、So-Sekiよりももっと虚無的だし、同時にもっとタフでポジティブでそしてユーモラスだ♪
そう、僕は一本の小説を書くように、あるいは一本の映画を撮るように、僕の周りにいる仲間たち一人一人の人生をスケッチしたい。そして、彼らの「人生」が輝く<瞬間>を積み重ね、それら一つ一つを<永遠>に留めたい。
いろいろあるけど、今日もがんばろう!
*****
夏目漱石は、近代にやって来られた日本も、日本にやって来た西洋の近代も好きではない。英文学者になってしまった夏目漱石は、西洋の近代の中に自分の望むものなどなにもないことを知る。 そもそも彼は、漢文学が好きな人間で、英文学の方に進んだのは、「それなら食っていける」というだけである。しかし、そう思う自分はいやな「日本の近代」の中に生きている。
(中略)
その宙ぶらりんの状態の中で、「この現実で生きる」ということがどういうことなのかを、考えざるをえない。しかもそれは、「自分がどう生きるか」ではない。放っておけば、自分は生きていたくない。「己という病」を重々に承知していればこそ、夏目漱石は「則天去私」を言う。「天に則(したが)って己を捨てる」の「則天去私」は、「自分の生きるあり方を決めてくれる”天”があれば、あれこれ考える”私”なんかいらないんだけどな」という願望である。
「則天去私」の夏目漱石に、「自分がどう生きるか」は意味のある問いではない。自分は現実に生きていて、現実に生きるということは「他人と共に生きる」になる。だからこそ彼は、自分とは関係のないもの―――ある部分で自分とは重なるかもしれない「拵え(こしらえ)もの」の他人を小説に書く。文章を書くこと自体が好きだった彼は、その結果つらい方向へ進まざるを得なくなる。
小説を書くのは楽な作業ではないが、それをしている限り、絶望に陥ることはない。なぜならば、「我と共に生きるはずの他人はどう生きるか?」を考えることは、希望に向かって進むことだから。つらい「拵え(こしらえ)もの」の小説を書く夏目漱石と、朗円上人に裏切られたと思って嵐の五重の塔の最上段に立つ「のっそり十兵衛」は、同じ人間なのだ。
引用:「失われた近代を求めてIII 明治二十年代の作家達 (失われた近代を求めて 3)」(橋本治著・2014年・朝日新聞出版)
私たちの暮らしている社会について (2014/11/24)
突然ですが、私は、今の日本社会を読み解くキーワードは「貧困」(そして、反「貧困」としての「社会的包摂」(social inclusion)という考え方)だと思っていて、最近はますますその感を強めてるんですね。
そして、この国における「貧困」の問題を考えることは、幼い頃から私に生き苦しさを感じさせ続けてきた「ある種の空気」の正体を知り、それに抗うための手がかりのような気がしています。うまく言えないのだけれど。
という訳で、今日は自宅で子供の相手をしながら、書庫から以前に買った(以前に読んだのかどうかはその他多くの本と同様すっかり忘れた)本を引っ張り出してきて、読んでいました。
以下、岩田正美「現代の貧困」(2007年 ちくま新書)より抜粋。ここで書かれている状況は、「リーマンショック以前」のものですが、現在、状況は好転するどころか、ますます悪くなっているように感じています。
どうすればよいのか?無知な私には分かりませんが、まずは「現実から目を逸らさない」こと、そして「他人ごとだと思わない」ことだと思っています。
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誤解を恐れずに言えば、他者に対する配慮や公正さについての異議申し立てがたえずなされるような、あるいは社会を構成するメンバーの連帯や社会統合に焦点が当てられるような社会では、「あってはならない状態」の範囲が広くなり、そうでない社会では逆に縮んでいくのではないか。それは、貧困問題を社会の責務として進んで引き受けようとする社会の成熟度による違い、と言うこともできる。繰り返し述べるように、そのような「あってはならない」とされる貧困の大きさは、社会それ自体の経済的な豊かさとは関係がない。むしろ貧困を「再発見」していく「目」や「声」の大きさとかかわっている。(P45)
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このように現代日本で、あらためて学歴格差がクローズアップされるのは、今日の社会に次のような変化があるからだ。
その一つは、先にも述べたポスト工業化とグローバリゼーションの進展による経済社会の変化である。ポスト工業化社会では、高度な知識や技術を要する金融や情報などのサービス労働と、マクドナルド・プロレタリアートなどと呼ばれる熟練を要しないサービス労働とに二分化する傾向にあることはすでに述べた。今や、人的資本の投下量=学歴は、人々がそのどちらに振り分けられるかを決定する大きな要因となっている。
二つには、中卒者が「金の卵」と呼ばれた時代には、学校から職場への移行がスムーズに行われ、企業に採用されてからはそこでスキルを身につけていくという日本的慣行があったが、近年になってそれが揺らぎだしたということがある。企業は即戦力になる人材を求めるようになり、とりわけマクドナルド・プロレタリアート型の労働者の場合、短期雇用で使い捨てにされる傾向が強まっている。
三つ目は、多様な技能や経験を基礎にした自営業・小経営分野の衰退がある。こうした分野は学歴とはあまり関係がなく、人々が技術を磨くことで安定した職業生活が送れるような場を提供していたが、その道が閉ざされてきているのである。
こうした変化の中で日本は、学歴社会がよりいっそう重要な意味を持つような社会になってきたのである。(P143~144)
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2002年に厚生労働省が実施した全国母子世帯等調査を見ると、母子世帯の9割が離婚や未婚の母などで、その8割以上が就労している。このように高い就労率にもかかわらず、年間の平均収入額(平均世帯人員3.36人)は212万円と低い。
就業している母が「常用」の場合でも、平均就労収入は252万円、「臨時・パート」では110万円にすぎない。「常用」の約4割が200万円未満、「臨時・パート」の5割が近くが100万円未満という低さである。持ち家率は全体で15%強でしかない。
以上のように離婚は女性の貧困に様々な影響を与えることが分かっているが、男性の場合についてはよく分かっていない。せいぜい養育費を払わない男性が少なくないとか、父子世帯の問題として取り上げられるかの、どちらかであろう。しかし、先のホームレス調査では、結婚経験があってもそのほとんどが離婚している。(P149~150)
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家族も資産と同様、貧困への「抵抗力」としての役割を果たすことがある。子供のの扶養費が貧困の一因となる一方で、家計を家族みんなで支えることで収入を増やし、あるいは支出を節約することができる。仕送りや資産贈与、相続などによって、家計を別にする家族同士が助け合うことも少なくない。
「不利な人々」はこのような「抵抗力」さえもたない。資産もなければ、支えあえる家族もいない。つまり、その「抵抗力」が弱いために、「不利」なのだともいえる。(P153~154)
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少し前に「下流社会」という言葉が世間の話題をさらったが、戦前の日本の貧困層を表す言葉としては「下層社会」があった。「下流社会」にせよ「下層社会」にせよ、その意味するところは一つの社会の中にもう一つの社会が存在するという点にある。先に述べた社会的排除と闘うヨーロッパの社会的包摂(social inclusion)策は、現代の先進国を再び寝食しかかっている、このもう一つの社会の形成に歯止めをかけることによって社会を安定させることをそのねらいとしている。つまり、社会的包摂という新しい理念による貧困対策は、明らかに社会それ自体の救済を意図しているのである。(P208)
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*開設5周年企画* ぶろっさむ旅行2014~サマー・オブ・東北~其の七 (2014/08/19)
さて、盛りだくさんだった旅行2日目もあっという間に終わり、
ホスピタリティ溢れる宿での2日目の夜も賑やかに更け…
夏の強い日差しで目が覚めると、既に最終日の朝です。
松島の海の幸をこれでもかと盛りつけた贅沢な食事も
この日の朝ご飯で最後。
あとは身支度を整えて、4台のレンタカーに分かれて
一路仙台へ向かい、レンタカーを返して昼食をとったら、
12:34の新幹線で関東へ戻るのです。
切ない想いを胸に秘め、宿の皆さんに滞在のお礼とお別れの挨拶を伝え、
最後にこの3日間おいしい料理を振舞ってくださった板前さんに
記念の集合写真を撮って貰いました。思い出の一枚。
それでもこの地を離れるのが心惜しい私たちのグループは、
最後に宮戸島の南部にある大浜海水浴場に15分ばかり
立ち寄らせて貰いました。
波打ち際で無邪気に遊ぶ子供たちと、
それを切なげに見つめるヒロキさん。
ありがとう、東北。
忘れないよ、東北。
またくるよ、東北。
こうして、くらくらするほど暑かった2014年夏の東北旅行は
静かに幕を閉じたのでした。(つづく)
*開設5周年企画* ぶろっさむ旅行2014~サマー・オブ・東北~其の陸 (2014/08/14)
2日目の午後は、みんなお待ちかねの班別行動です。
車4台で、3つの班に分かれて動きました。
①大高森トレッキング(宮戸島)
②石ノ森萬画館(石巻)
③マリンピア松島水族館(松島)
大高森チームは、宿のすぐ近く登山口から徒歩で
高台へ上り、そこから見える絶景を堪能。
(絶景を見ながら、「絶叫」している人の写真も手元にあるのですが、
あまりにも激しすぎるためここにはアップできないのが、残念。)
石巻チームは、日本の誇る漫画家石ノ森章太郎氏の記念館へ。
http://www.man-bow.com/manga/index.html
ちょうど「サイボーグ009」の50 周年記念展示をしており、
みんなでクイズに応えて記念バッジを貰ってきたそうです。
最後に松島組は、開館から88年を迎えた「マリンピア松島水族館」へ。
実は、来年春に、仙台港後背地に「仙台水族館(仮称)」という新しい水族館が
オープンすることとなっており、このマリンピアは、今年がラストシーズンとなります。
以前よりその存在を知っており、閉館前に1度は足を運んでみたいと思っていた私も、
松島の船着き場のすぐ近くにある、規模としては中サイズくらいの水族館でしたが、
開放的でアットホームな雰囲気があり、この日も家族連れやカップル・友人とおぼしき
グループなどで大変賑わっていました。
入口ゲートを入って正面に、夏休み限定で設置された「サマージャンボタッチプール」
なるものがあり、そこではなんと!7m四方のプールの中で、海の生き物に触れることが
できました。カニ、ヤドカリ、ヒトデ、はてはウナギまで。
これには大人も子供も大喜びで、みんなでばしゃばしゃ。
その後、アシカショーを見て盛り上がったり、水族館で海や川に生きる不思議な生き物たちを眺めたり、
ドクターフィッシュにお肌をキレイにして貰ったり♪…とみんな思い思いに楽しんでいました。
正直、1日目と2日目の午前中の学習色の濃かった内容は
「ぶろっさむ」の仲間たちにとっては、それほど興味の持てるものでは
なかったと思うので、みんなにとっては、この班別行動が、
今回の旅行で最も楽しかった思い出になったのではないか?と思います。
人数的にも5~10名単位だと、行動がとっても楽でしたね♪
(続く)
*開設5周年企画* ぶろっさむ旅行2014~サマー・オブ・東北~ 其の伍 (2014/08/11)
約1時間半の被災地ガイドツアーを終え、胸が詰まりそうな想いになった私たちでしたが、
その後は、そんな気持ちを波風に包んで癒して貰うべく、
宿のそばの船着場から出ている遊覧船に乗って、船上から奥松島の海と島々を眺める
ことにしました。
お世話になった「株式会社奥松島公社」さんのホームページ
http://www.okumatsusima.jp/pleasure_boat.html
内海である松島湾内の島々を巡るクルーズではなく、
外洋に出て、そこから宮戸島に隣接した名岩・奇岩を眺めるという「嵯峨渓コース」です。
ちなみに、遊覧船クルーズといっても…屋形船のような作りの小舟に、万が一に備えて
ライフジャケットを着用した10数名が乗合になる形。
船に乗ること自体がはじめての仲間たちも多く、最初は皆とても緊張した面持ちでした。
しかし、晴れ渡った空夏の下、どこまでも続く海原を最高時速50kmで進む船に
入ってくる波風の気持ち良さといったら!
いろいろな想いが洗われて、みんな清々しい表情をしていました。
メインの「嵯峨渓」は、宮戸島の東南部に伸びる岬のこと。
長年の歳月を通じて波風によって削られた岩々が織り成す自然の造形美を楽しむことができ、
一同大満足でした。
さて、この後は一旦宿に戻って昼食。
それから、3グループに分かれての班行動へと移ります。(続く)
*開設5周年企画* ぶろっさむ旅行2014~サマー・オブ・東北~ 其の肆 (2014/08/10)
2日目です。
真夏の強い日差しの中、どこまでも高く伸びてゆくような青空が広がる朝。
この日はまず、4台のレンタカーに分かれ、それぞれの車のガイドさんに同情して頂き、
東日本大震災の被災地を案内して貰いました。
ガイドをしてくれたのは、「東松島市観光物産協会」(http://okumatsushima-kanko.jp/index.php)
を通じて予約をした、奥松島観光ボランティアの会の方々。
宿のある宮戸島(みやとじま)は、
『宮城県東松島市の旧桃生郡鳴瀬町域にある陸繋島で、仙台湾の支湾である松島湾と石巻湾とを分ける位置にある。
島としては、松島湾で最大の面積を持つ。人口は約1,200人。「奥松島」の主要部である。
島の最高峰である大高森からの眺望は「壮観」と呼ばれ、「松島四大観」の1つである。
また、島の東南の「嵯峨渓」は名岩・奇岩が多数連なり、「日本三大渓」の1つに数えられる。』(Wikipediaより)
で、震災は前は、海苔養殖を主とする漁業と民宿を中心とした観光業が盛んだったと言います。
しかし、天然の防波堤(島々)に守られた松島とは異なり、外海(石巻湾)に面してる地区は、
10メートルを超す津波により、4 つの漁業集落の内3 集落が壊滅的被害を受けて浸水。
加えて島につながる唯一の橋が崩落したため、島民のほとんどは無事でしたが孤立状態が続き、
住民は島で唯一の学校で、市指定の避難所であった高台の宮戸小学校に避難し、そ
今回のガイドでは、まずその宮戸島内をぐるりと回り案内して貰いました。
現在は、各浜で高台移転に向けて土地の造成が始まっていますが、まだ仮設住宅での生活を余儀なく
されている方々が大勢いらっしゃいました。私たちの車に同乗した下さったガイドさんたちも仮設住宅で暮らしており、
震災後の暮らしを思い出すと本当につらい気持ちになるが、あれから3年が過ぎた今でもこうして島の外から
話を聞きに来てくれる人たちがいることがありがたく、がんばらないとと思うとお話してくださいました。
その後は、崩落した橋に代わり震災後に新たに掛けられた橋を渡り島を出て、野蒜(のびる)海岸へ。
ここは震災前、海水浴場で賑わっていた地区で、海岸の後背地には松林が広がっていたそうですが、
津波で全地域が浸水し、今はほとんど残っていません。大地は一面が伸びきった雑草で覆い尽くされています。
すぐ近くには「かんぽの宿 松島」がありましたが、津波の被害を受けて震災後営業停止となりました。
この施設の裏手には、「東松島市立鳴瀬第二中学校」があり、震災当日、午前中の卒業式を終えた
生徒さんや父兄たちが謝恩会を開いていましたが、津波の方を受けて建物の4階まで避難し、難を逃れたといいます。
また、校舎には教員と生徒が20人ほど残されていましたが、全員が屋上へと避難。アーチ状の作りになっていた
「かんぽの宿」が津波の勢いを横に逃がしてくれたこともあり、校舎が壊滅的なダメージを受けることを防いで
くれたそうです。
しかし、野蒜地区全体では、亡くなった方が323名(そのうち65才以上207名)。死亡率12.78%
高層の建物が少なく、また避難できる高台も離れていたため、多くの命が失われてしまうこととなりました。
ガイドさんの案内で震災前にお墓があったところに建てられた慰霊碑のある広場に連れていって貰い、
皆で黙祷を捧げました。
(続く)
*開設5周年企画* ぶろっさむ旅行2014~サマー・オブ・東北~ 其の参 (2014/08/05)
さて、多賀城市の「さくらんぼ」さんを後にした我々「ぶろっさむ」の一行は、
一路、今回の旅行の宿のある東松山市の宮戸島へ向かいました。
宮戸島は陸繋島(橋で繋がっている島)で、仙台湾の支湾である松島湾と石巻湾とを分ける位置にある、
松島湾にある島でもっとも大きい島です。
国道45号線を走り、多賀城市・塩釜市・根府町と抜けて、観光名所である「松島」のある松島町(みやとじま)へ。
車窓の外には、静かで美しい海と松島湾の島々が広がっており、
「あの日」にあれほどまでに猛り狂った海の様子を知っているだけに複雑な気持ちになります。
そこから奥松島パークラインへ入り、人で賑わっている「松島」の中心地を過ぎると、
ところどころに震災の傷跡を残している景色が見えてきました。
そして、JR仙石線沿いにカーナビに従って道を進み、途中にあるひしゃげたガードレールのある橋を右折。
運河を渡った先の野蒜海岸へと続く道で、我々は津波により跡形も無く流された跡地一面に
濃い緑が生い茂っている光景を目にすることとなりました。
「あの日」から3年5ヶ月が過ぎようという今も、海岸部にはこのような景色が広がっているのです。
さて、目指す宿「大高森観光ホテル」さんは、海岸沿いの道に出て、震災後に舗装された道を
半島の先の方へ向けてひたすら走ったその先にありました。
大高森観光ホテル
ホテルと名前が付いていますが、実際は大きめの民宿で、その飾り気のない外観は
「野蛮で高潔」が信条の「ぶろっさむ」の仲間たちにはぴったりの場所です。
しかもなんと、本日は貸し切り状態っ!
途中見てきた光景に、複雑な想いを抱きながらも、仲間たちの心は、
この日の夜の宴へと既に向いていたのでした。
地元の海の幸がお膳にこれでもかと盛られた料理に、
おかわりし放題のご飯。
なんといっても、仲間たちの旅行の最大の楽しみは、これです。
ヘビー級クラスも多い「ぶろっさむ」。
普段は計量をパスして試合に臨むべく、食事もある程度ガードを固めて挑んでいますが、
この3日間ばかりは、ノーガード戦法!いくゼ、でんでん太鼓!!
そして胃を十分に満たした後は、
テンションもマックスとなり、仲間たち入り乱れて
何故かの組み立て体操へと突入。
(「仕事も真剣!遊びはもっと真剣!!」が「ぶろっさむ」のモットーですが、
ちょっとハメを外しすぎですね…。でも、たまにはいいやね♪)
こうして、長い夜は更けていったのでした…(以後省略、そして翌日へとつづく)
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