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G・スターダスト

So-Sekiの憂鬱を共有する。 (2014/12/08)

最近考えているのは、こんなことばかり(というのは嘘で、最近は忙しくてこういうことを考える時間が減り、毎日がややルーチン化しているので、ちょっと反省している)。

 

でも、私はさすがに現代ニッポンという過酷な時代・社会を、多くの仲間たちと共にささやかで同時に愉快に生き延びようとしているいわばlocal strangers の首領だから、So-Sekiよりももっと虚無的だし、同時にもっとタフでポジティブでそしてユーモラスだ♪

 

そう、僕は一本の小説を書くように、あるいは一本の映画を撮るように、僕の周りにいる仲間たち一人一人の人生をスケッチしたい。そして、彼らの「人生」が輝く<瞬間>を積み重ね、それら一つ一つを<永遠>に留めたい。

 

いろいろあるけど、今日もがんばろう!

 

*****

夏目漱石は、近代にやって来られた日本も、日本にやって来た西洋の近代も好きではない。英文学者になってしまった夏目漱石は、西洋の近代の中に自分の望むものなどなにもないことを知る。 そもそも彼は、漢文学が好きな人間で、英文学の方に進んだのは、「それなら食っていける」というだけである。しかし、そう思う自分はいやな「日本の近代」の中に生きている。

 

(中略)

 

その宙ぶらりんの状態の中で、「この現実で生きる」ということがどういうことなのかを、考えざるをえない。しかもそれは、「自分がどう生きるか」ではない。放っておけば、自分は生きていたくない。「己という病」を重々に承知していればこそ、夏目漱石は「則天去私」を言う。「天に則(したが)って己を捨てる」の「則天去私」は、「自分の生きるあり方を決めてくれる”天”があれば、あれこれ考える”私”なんかいらないんだけどな」という願望である。

 

「則天去私」の夏目漱石に、「自分がどう生きるか」は意味のある問いではない。自分は現実に生きていて、現実に生きるということは「他人と共に生きる」になる。だからこそ彼は、自分とは関係のないもの―――ある部分で自分とは重なるかもしれない「拵え(こしらえ)もの」の他人を小説に書く。文章を書くこと自体が好きだった彼は、その結果つらい方向へ進まざるを得なくなる。

 

小説を書くのは楽な作業ではないが、それをしている限り、絶望に陥ることはない。なぜならば、「我と共に生きるはずの他人はどう生きるか?」を考えることは、希望に向かって進むことだから。つらい「拵え(こしらえ)もの」の小説を書く夏目漱石と、朗円上人に裏切られたと思って嵐の五重の塔の最上段に立つ「のっそり十兵衛」は、同じ人間なのだ。

 

引用:「失われた近代を求めてIII 明治二十年代の作家達 (失われた近代を求めて 3)」(橋本治著・2014年・朝日新聞出版)


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